『書経』は二帝三王の法言の書
太宰春台
『書経』は、二帝三王の書である。二帝とは堯・舜、三王とは夏の大禹・殷の成湯・周の武王を指す。
虞書は二帝の書であり、堯舜の時は、大禹・皋陶(コウヨウとも)・稷・契伯益・伯夷・夔・龍・垂が家臣におり、四岳十二牧の官人がいた。全てで二十二人、みな聖賢で、君臣常に天下国家の道を論じ、互いに戒めて、少しも怠りたまわず、威徳を天下に施し行いたまえる事を記録して、二典三謨の五篇にまとめた。
夏書は、大禹の治水したまえる次第、啓が有扈を征伐しようとして、その遠征軍に誓約したまいし事、太康がバカ殿で、五人の弟が歌を作ったこと、胤侯が義和(羲和)を征伐したことを記録して、全てで四篇にまとめてある。
商書は、成湯が夏の桀王を討伐して天下を取りたまいし事からはじめて、君主には太甲・盤庚・高宗が、臣下には伊尹・仲虺・傅説・祖己・祖伊・微子・箕氏・比干がいる。その言行や事実を記録して全てで十七篇にまとめた。
周書は、武王が殷の紂王を討伐して天下を取りたまいし事からはじめて、君主には成王・康王が、臣下には周公旦・召公奭・康叔・蔡仲・君陳・畢公・君牙・伯冏・呂候がいて、諸侯には晋の文公・魯公伯禽・秦の穆公がおり、その言行と事実を記録して、全てで三十二篇にまとめた。
虞・夏・商・周、合わせて五十八篇である。昔は百篇だったが、欠け失せて現存するのは五十八篇である。
『書経』にも六つ文の体裁があり、その一を典と言う。典とは法であり、二典がそれに当たる、その二を謨と言い、謨とは謀(はかりごと)である。三謨がそれに当たる。その三を訓と言う。訓とは教訓である。伊訓の類がそれに当たる。
その四を誥という。誥とは大衆への布告である。湯誥・大誥の類がこれに当たる。その五を誓と言う。遠征軍への誓約である。甘誓・湯誓の類がこれに当たる。その六を命と言う。帝王が臣下や諸侯を任命するときの言葉である。説命・畢命の類がこれに当たる。
坂井末雄編『漢文読書要訣』より。
祖己:殷の高宗の賢臣。高宗の次代、殷王祖己とも言われる。
祖伊:殷の紂王の賢臣。祖己の末裔という。