春台先生、詩経を語る(2)

国風は民謡

太宰春台
太宰春台

一方『詩経』に載ったのは多くが周の詩で、殷の時代の詩も少し入っている。その中で四詩と呼ばれるのが、一に国風、二に小雅、三に大雅、四にショウである。一の国風とは諸国民間の歌謡で、歌謡というのは、今の流行り歌や、田舎の麦つき歌・臼挽き歌、あるいは馬子歌の類を言う。

これらの国風には国ごとの風俗が反映され、詞も声も節もそれぞれ違うから、まとめて国風と呼んだのだ。日本で言えば『万葉集』がこれに似ている。国風の中には、国君の夫人や家老など、高い身分の者が作った歌もあるが、それでもそのお国ぶりを反映しているから、国風に収録された。

内容はさまざまである。男女夫婦の愛情。親を思い子を思う。主君を怨み夫を怨む。バカ殿をやり玉に挙げる。偉い家老を誉める。政治の不正を嘆く。仕官できない痩せ浪人を憐れむ。細民の生活が立たぬのを憂う。

凡そ世間にありとあらゆる出来事を語り尽くし、卑しい者の立ち居振る舞いにまで及んでいる。だから国風の詩を見れば、その国の政治の善し悪し、風俗の様子がみな分かる。

昔、天子の元には太史官という記録役がいて、諸国の詩を集めて王朝の楽府ガフ*で記録した。その中から歌詞がみやびで下品でないものを選んで、曲を付けて、君主の宴会で歌わせた。楽府とは日本で言う、楽所(=国立音楽院)である。

元は身分卑しい男女の歌であっても、ひとたび王朝の楽府に登録されたら、君主の宴席にも歌われて、述べた志が披露される。『左伝』に「国君士大夫の詩を賦す」とあるのは、みなこの模様を伝えている。

今の世で小唄を唄うように、自分の思いを人に伝えたいときに、普通の言葉では言いにくいことを、詩に歌えば千言万語語るよりも、詳しく通じて人の心に深く染み入る。これが詩の持つ力*というものだ。


坂井末雄編『漢文読書要訣』より。

楽府:「ガクフ」ではなく「ガフ」と読むお約束になっている。

  1. 漢代、音楽のことを扱った役所。宮中の祭祀(サイシ)・宴会などで音楽を奏することを役目とした。
  2. 楽府に採集され、音楽に合わせて歌われた詩。
  3. 詩の形式の一つ。楽府の詩の題を借り、唐代以後行われた、長短句を交えた詩。「楽府体」「新楽府」の略。

詩の持つ力:原文は「詩の徳」。春台先生はさすがに徳の意味を分かっており、徳とはつまり機能や効果、力のことである。

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