二 使役格の語法
動詞を使役格にするには、使役の助動詞を用いるのが普通だが、助動詞がなくとも使役格になる場合があるから、訓読の際には大いに注意を要する。
使役の助動詞として用いられるものは、大抵下記の五六字で、之を訓ずる場合はみな「…をして…せしむ」と再読するのが普通である。その字義の区別は、その各々の動詞としての本質に順っておけば、大概よろしい。すなわち、
- 使:使役してさせる。
- 令:命令してさせる。
- 遣:派遣してさせる。
- 教:知らざる者に教えてさせる。
- 俾・伻:使に同じ。主として古文に用いる。
用例は次の通り。
使(しテ)
- 雍也可使南面。(=可使雍南面)(『論語』雍也)
〔雍也南面せ使む可し。〕 - 吾欲使子問於孟子。然後行事。(『孟子』滕文公上)
〔吾れ子を使て孟子於問わしめんと欲す。然る後に事を行わん。〕
- 使子路問津焉。(『論語』微子)
〔子路をして津を問は使む〕 - 使人之所悪、莫甚於死者、則凡可以辟患者、何不為也。(『孟子』告子上)
〔人の悪む所をして、死より甚しき者莫から使めば、則ち凡そもって患いを辟く可き者は、なんぞ為さざらん〕
▽「もし~、…すれば」と読んでもよい。 - 使趙不将括即已(『史記』廉頗藺相如伝)
〔使(も)し趙括を将とせずんば即ち已む〕
▽「向使」「嚮使」「仮使」「縦使」「藉使」も、「もし」とよみ、意味・用法ともに同じ。ヂ「向使」「嚮使」「仮使」「縦使」「藉使」は、「たとい~、…すれども」とよみ、「たとえ~が…であっても」と訳す。逆接の仮定条件の意を示す。「仮使棄数百人、何苦而将軍以身赴之=仮使(たと)ひ数百人を棄つるとも、何を苦しみてか将軍身をもってこれに赴かん」〈たとえ数百人を見捨てようとも、何を苦しまれて、将軍はみずから(窮地に)赴くのでしょう〉〔魏志・曹仁〕
令(しテ・れいシテ)
- 枯朽之骨、兇穢之餘、豈宜令入宮禁。(韓愈「迎仏骨表」)
〔枯れ朽ちたる之骨、兇しく穢しき之餘りなり、豈に宜く令して宮禁に入らしめんや。〕 - 秦昭王、令白起與韓魏共伐楚。(『史記』春申君伝)
〔秦の昭王、白起を令て韓魏與共に楚を伐たしむ。〕
遣(しテ・つかわしテ・やりテ)
- 乃遣張良、往立信爲齊王。(『史記』淮陰侯伝)
〔乃ち張良を遣りて、往きて信を立て齊王爲らしむ。〕 - 趙王於是遂遣相如、奉璧西入秦。(『史記』廉頗藺相如伝)
〔趙王是に於て遂に相如を遣りて、璧を奉り西して秦に入らしむ。〕
教(しテ・おしえテ)
- 但使龍城飛將在、不教胡馬度陰山。(王昌齢「出塞」)
〔但だ龍城飛將を使て在らしめば、胡馬を教て陰山を度らしめ不。〕 - 趙高教其女婿咸陽令閻樂劾、不知何人賊殺人移上林。(『史記』李斯伝)
〔趙高、其の女婿にして咸陽令の閻樂を教て劾げしめていわく、何人たるかを知ら不、賊の人を殺して上林に移すあり、と。〕 - 天祥曰、吾不能扞父母、乃教人叛父母、可乎。(『十八史略』宋帝昺)
〔天祥曰く、吾れ父母を扞る能わ不、乃ち人に教えて父母に叛かしむるは、可ならん乎。〕
俾(しテ・しめテ)
- 人之彥聖、而違之俾不通。(『大学』)
〔人之彥にして聖なるは、而ち之に違いて通ぜ不ら俾む。(彥聖:才徳がすぐれていて賢いこと。)〕 - 俾爾由庠序、踐古人之迹。(李覯「袁州学記」)
〔爾を庠序に由ら俾めて、古人之迹を踐ましむ。(庠序:学校)〕
使役格の助動詞がないのに、使役格に読むべきものが多くある。訓読の際には大いに注意を必要とする。前後の文脈によって判断するしかない。
- 國子先生、晨入大學、招諸生、立館下。(韓愈「進学解」)
〔國子の先生、晨に大學に入らば、諸生を招きて、館下に立たしむ。〕 - 屬予作文、以記之。(范仲淹「岳陽楼記」)
〔予に屬けて文を作らしめ、以て之を記さしむ。〕 - 留坐飮食曰、范叔一寒如此哉。取一綈袍贈之。(『十八史略』秦)
〔坐を留めて飮食せしめて曰く、范叔の一えに寒きこと此の如し哉と。一綈袍を取りて之に贈る。(綈袍:テイホウ・綿入れの上着。)〕 - 魯肅以爲不可、勸權召周瑜。(『十八史略』東漢献帝)
〔魯肅以て不可と爲し、權に勸めて周瑜を召さしむ。〕 - 擇文武之士、以侍其左右。(『十八史略』不明)
〔文武之士を擇びて、以て其の左右に侍らしむ。〕 - 右手招十九人、歃血於堂下曰、公等碌碌。所謂因人成事者也。(『十八史略』春秋戦国趙)
〔右手に十九人を招き、血を堂下於歃らしめて曰く、公等碌碌たり。所謂人に因りて事を成す者也と。(碌碌:ごろごろ。石ころのようにつまらないもの。)〕 - 止子路宿、殺雞爲黍而食之、見其二子焉。(『論語』微子)
子路を止めて宿らしめ、雞を殺し黍を爲り而之に食わしめ、其の二子を見えしめ焉。 - 從者見之。出曰、二三子、何患於喪乎。(『論語』八佾)
從者之を見えしむ。出でて曰く、二三子、何ぞ喪える於患えん乎。 - 庖有肥肉、廐有肥馬、民有飢色、野有餓莩、此率獸而食人也。(『孟子』梁恵王上)
〔庖に肥肉有り、廐に肥馬有り、民に飢色有り、野に餓莩有り、此れ獸を率而人を食わしむる也。〕 - 故理義之悅我心、猶芻豢之悅我口。(『孟子』告子)
〔故に理義之我が心を悅ばしむる、猶お芻豢之我が口を悅ばしむるがごとし。(芻豢:草食の家畜(牛・羊など)と、穀食の家畜(犬・豚など)。▽「豢」は、小屋に入れて飼う家畜。)〕