1.表時格の語法(承前)
過去を表すもの
既(すでニ)
- 文王既沒、文不在茲乎。(『論語』子罕)
〔文王既に沒するも、文茲に在ら不る乎。〕 - 聖人既竭目力焉、繼之以規矩準繩、以為方員平直、不可勝用也。(『孟子』離婁上)
〔聖人既に目の力を竭し焉、之に繼ぐに規矩準繩を以う、以て方員平直為ること、用うるに勝う可から不る也。〕 - 冉有曰、既庶矣、又何加焉。曰、富之。曰、既富矣、又何加焉。曰、敎之。(『論語』子路)
〔冉有曰く、既に庶し矣、又何をか加え焉ん。曰く、之を富まさん。曰く、既に富み矣、又何をか加え焉ん。曰く、之を敎えん。〕
已(すでニ)
- 五日平明、良往。父已先在、怒曰、與老人期、後何也。去曰、後五日早會。(『史記』留侯世家)
〔五日して平明、良往く。父已に先に在り、怒りて曰く、老人與期ちて、後るるとは何ぞ也。去りて曰く、後五日して早に會わん。〕 - 今乘輿已駕矣、有司未知所之。(『孟子』梁恵王下)
〔今乘輿已に駕げ矣も、有司未だ之く所を知らず。〕 - 宰我問、三年之喪、期已久矣。(『論語』陽貨)
〔宰我問う、三年之喪、期已に久しき矣。〕
既と已について、古来の学者はいろいろに考えるようだが、既は現在完了の意味が多く、已は過去に用いるのが普通のようである。しかし固より截然として区別は出来ない。
また、既已を畳用したものもある。之はもちろん強く言い表すためである。
- 今陛下既已立后、慎夫人乃妾。(『史記』袁盎伝)
〔今陛下既に已に后を立て、慎夫人乃ち妾たり。〕 - 太子聞之馳往、伏尸而哭、極哀。既已不可柰何。(『史記』刺客伝)
〔太子之を聞きて馳せ往き、尸に伏し而哭き、哀しみを極む。既に已に柰何ともす可から不。〕
業(すでニ)
- 父曰、履我。良業為取履、因長跪履之。父以足受、笑而去。良殊大驚、隨目之。(『史記』留侯世家)
〔父曰く、我に履かせよ、と。良業に為に履を取れるも、長ずるに因りて跪きて之に履かしむ。父足を以て受け、笑い而去る。良殊に大いに驚き、隨いて之を目る。〕 - 高帝召濞相之、謂曰、若狀有反相。心獨悔、業已拜。(『史記』吳王濞伝)
〔高帝濞をして之を相、謂いて曰く、狀に反くの相有るが若し、と。心に獨り悔やむも、業に已に拜*けたり。(拜:任じること。古語「まく」。)〕 - 項王、范增疑沛公之有天下、業已講解。(『史記』項羽紀)
〔項王、范增疑うらく、沛公之天下を有たんも、業に已に講解*せり。(講解:双方が納得して和解すること。)〕
「業已」または「已業」の畳用したものも、大体同じと見てよかろう。
嘗(かつテ)
- 孔子嘗爲委吏矣。(『孟子』万章)
〔孔子嘗て委吏と爲り矣。(委吏:穀物の倉庫の管理をする役人。)〕 - 俎豆之事、則嘗聞之矣。(『論語』衛霊公)
〔俎豆之事は、則ち嘗て之を聞け矣。〕 - 非公事。未嘗至於偃之室也。(『論語』雍也)
〔公事に非ずと。未だ嘗て偃之室於至らざる也。〕
曾(曽)(かつテ)
- 玄宗歎曰、二十四郡曾無一人義士邪。(『十八史略』唐玄宗)
〔玄宗歎きて曰く、二十四郡、曾て一人だに義士無き邪。〕 - 臣侍湯藥、未曾廢離。(李密「陳情表」)
〔臣湯藥もて侍り、未曾て廢て離れず。〕 - 孝惠帝、曾春出游離宮。(『史記』叔孫通伝)
〔孝惠帝、曾て春に出でて離宮に游ぶ。〕
「嘗」と「曾」の語義は、ほぼ同じと言って良かろう。ただし曾は嘗に比べてその意味がやや切迫しているようである。
嚮(さきニ)
- 鄉爲身死而不受、今爲妻妾之奉爲之。(『孟子』告子)
〔鄉には身の死するが爲にし而も受け不、今妻妾之奉るが爲に之を爲す。〕 - 然後知吾嚮之未始游、游於是乎始。(柳宗元「始得西山宴遊記」)
〔然る後に吾が嚮之未だ游びを始めず、游び是に於いて乎始まるを知る。〕 - 向者曾經臣僚繳進、陛下置而不問。(蘇轍「爲兄軾上書」)
〔向者曾て臣僚を經て繳進せるも、陛下置き而問わ不。(繳進:キョウシン・悪く申し上げる。)〕
鄉(郷)・嚮・向は、ともに同じく過去を言う副詞である。このほかに、往者・昔者・往昔・往古などがある。