第二節 名詞の小分〔承前〕
本名詞の小分(1)
本名詞を分かって、固有名詞、普通名詞、模型名詞の三つとする。
普通名詞
普通名詞は、種類の概念を表す名詞である。「山」「河」「人」「獣」「犬」「猫」「宗教」「法律」「戦争」「旅行」「文」「詩」等の類がそうだ。山は有形物の種類で、宗教は無形物の種類だ。
同種中の各個物に、普く通ずる名詞であるから、普通名詞というのである。
固有名詞
固有名詞は、個体の概念の名詞である。「堯」「舜」「華」「岳*」「江」「漢」「老」「荘」「儒」「仏」「詩」「書」等の類だ。内包が極端に豊富で、外延が極端に狭小な本名詞である。
岳:原文「嶽」。
模型名詞
□普通の説では、本名詞はただ普通、固有の二種だけだと説かれているが、実はもう一つ模型名詞というべきものがある。
模型名詞は、或る材料を以て、実物の模型を作って、之を名詞としてその実物を表すものである。模型の材料が図形や立体像である場合は、読めないから名詞にならないが、材料が声音である場合には、読むことが出来るから名詞になる。例えば
- 電話もうるさいものだ。夜中のチリチリチリには参るよ。
のチリチリチリは、電鈴の音そのものではない。人間の声で作った電鈴の模型であって、実物たる電鈴の音を代示するものである。こういうのが模型名詞である。概念を表すことは表すが、普通名詞や固有名詞のように、概念を直接に表すのではなく、実物の観念を表すのであって、概念は間接に表される。
漢文でも、他人の言語の引用には、屢々模型名詞が用いられる。
- 経二営天下一五年、卒亡二其国一身死二東城一尚不二覚寤一而不二自責一過矣。乃引下『天亡レ我、非二用レ兵之罪一也』上。豈不レ謬哉。(史記項羽本紀賛)
〔天下を営むこと五年を経て、卒に其の国を亡ぼし身は東城にし尚お覚り寤ら不し而自ら責め不、過てる矣。乃ち『天我を亡ぼす、兵を用うる之罪に非る也』と引く。豈に謬りなら不哉。〕
の『…』は模型名詞である。実物は断句であっても、模型として名詞である。
- 関関雎鳩、在河之洲。[毛伝]「関関」和声也。「雎鳩」王雎也。(毛詩)
〔関関たる雎鳩は、河之洲に在り。[毛伝]「関関」は和する声也。「雎鳩」は王雎也。〕
の は模型名詞である。実物は形容動詞でも名詞でも関係はない。
- 顔回魯人也字子淵。(史記仲尼弟子列伝)
〔顔回は魯人也、字は子淵。〕 - 樗里子名疾、秦恵王之弟也。(史記樗里子列伝)
〔樗里子名は疾、秦の恵王之弟也。〕
の は模型名詞である。人を指すならば固有名詞だが、これはその固有名詞を指すのである。
模型名詞は、多くの場合に於いて、下へ「者」「也者」を付ける。
- 『瑟兮僩兮』者恂慄也。『赫兮喧兮』者威儀也。(大学)
〔瑟兮僩兮*者、恂慄*なる也。赫兮喧兮*者、威儀*ある也。〕 - 『道』也者、不レ可二須臾離一也。可レ離非レ道也。(中庸)
〔道也者、須臾も離るる可から不る也。離るる可きは道に非る也。〕 - 孔子者聖之時者也。孔子ヲ之レ謂二集メテ大成スト一。『集大成』トハ也者、金声而玉二-振之一也。『金声』也者、始二条理一也。『玉振之』也者、終二条理*一也。(孟子万章下)
〔孔子者、聖之時なる者也。孔子を之れ集めて大成すと謂う。集めて大成する也者、金声し而之を玉振する也。金声する也者、条理を始むる也。玉之を振す也者、条理を終うる也。〕
の『…』は模型名詞である。「者」は、その模型名詞の代示する実物を再示する。「也」は、模型名詞の意を強めるのである。
瑟兮僩兮:金谷本によると、慎み深くみやびやか。
恂慄:ひやひやして、気を配るさま。
赫兮喧兮:金谷本によると、晴れやかに輝かしい。
威儀:同上、気高く礼儀正しい。
条理:原文「修理」。誤字であろう。
なお模型名詞について、同じ著者の『改撰標準日本文法』には以下の通り記す。
模型名詞は、実物の模型を作って、その模型を名詞の実質に仮用した名詞である。あるいは之を、引用名詞と名付けても善いかも知れない。
言語は声音、文字より成るものであるから、模型を構成する材料は、やはり声音、文字でなければならない。木や金で作った模型では、言語にはならない。
- あは母音なり。
- 僧は敲く月下の門の敲くはもと推すなりしを苦心して斯く改めたりというより詩文の字句を練ることを推敲という。
- 顔回は魯人なり。字は子淵。
の の様なのが模型名詞だ。 の実物は、一般人又は他人の声音であるが、自己の口から出る声音を以てその模型を作り、模型を以て実物たる声音を代示する。実物としては声音であるが、模型としては名詞である。実物の「あ」は単に声であるが、上の例はその模型であって、名詞である。「敲く」の実物は動詞だが、上の「敲く」は模型であって、名詞である。「子淵」が人を指すならば固有名詞であるが、上の例では人を指さずに、その人名を指すのであるから、模型名詞である。
模型の材料が図形である場合には、読めないが描くことは出来る。
- ○は断句点なり。
- ✋を挟まれないように注意なさい。
- 🎩の注文は必ず某店へ。
こういうのは読めないから、模型図であって名詞ではないが、仮に名詞の如く取り扱ったものである。ただし下の助辞を読む都合から、之を普通名詞に直して、「丸は」「手を」「帽子の」などと読む場合が多い。直して読めば、普通名詞に変わるのである。