『標準漢文法』017:2-1-1C動詞

第一節 品詞(承前)

動詞

ここに動詞というのは広義であって、日本文典に言うような形容詞を含むものである。

動詞は作用(動作或は状態)の概念を表して、或る物に対して判断を下す詞である。例えば

花「開」      月「出」
人「観」月     風「散」花
鳥「在」枝     「有」酒「無」肴
山「高」月「小」  月「白」風「清」

の「 」の類だ。「開」は花の作用(動作)を表し、「出」は月の作用(動作)を表し、「高」「小」は山、月の作用(状態)を表している。

「有」「無」「在」などは作用でないと思う人もあるであろうが、それは作用ということを狭義に考えるからである。作用という語は、広義に考えれば狭義の動作ばかりを言うのではなく、静止的動作をも状態をも含むのである。

動詞は作用の概念を表すものであるが、作用の概念は、必ず或るものに対して判断を下すものである。例えば

  • 智者楽水仁者楽山。(『論語』雍也
    〔智者は水を楽しみ仁者は山を楽しむ。〕
  • 青出于藍于藍、冰水為之寒于水。(『荀子』勧学)
    〔青は藍より出でて藍于青く、冰は水之を為りて水于寒し。〕

の「楽」「出」「青」「為」「寒」は、智者・仁者・青・冰について、之に判断を下している。この判断を下す性質を判定性という。そうして判定性は概念の性質であるが、言語の方から言えば、判定性は即ち叙述性である。

されば動詞は、判定性を有する概念を表すので、即ち叙述性のある語なのである。叙述性のない動詞というものは、全く無い。

但し判定性は、名詞にも有る場合がある。

  • 神者「天地之主宰」而人者「万物之霊〔長〕」。

の「…」は名詞であるが、「神者」「人者」に対して判断を下している。それ故判定性(叙述性)の有ることは、必ずしも動詞の特徴ではない。


動詞→判定性(叙述性)/判定性(叙述性)⊃動詞or名詞


動詞の中には「知」「忘」「言」「行」「売」「買」などのような、本来一詞であるものもあるし、「感激」「忿怒」「哄笑」「微行」「直言」などのような、二辞が一単詞となったものもある。

前者は単辞の動詞であることは勿論、単詞の動詞である。後者は連辞の動詞である。連辞の動詞は、もとは二詞の結合ではあるが、一詞化したもので一気に発音される。それだから矢張り、単詞の動詞である。

連詞的動詞

□世間の人〔が〕動詞と言えば、多く単詞の動詞を指すのであるが、連詞的動詞もまた、動詞であることを忘れてはならない。例えば

  • 月「出」

の「出」は、単詞的動詞であって「月」の作用を叙述するが

  • 月「出於東山之上

の「…」も、月の作用を叙述する。「東山之上」は作用ではないが、「出於東山之上」は作用である。ただ「出於東山之上」ばかりでなく、

  • 「月出於東山之上
  • 「須臾月出於東山之上徊於斗牛之間」(蘇東坡「赤壁賦」)
    〔須臾にして月東山之上於出で、斗牛之間於徘徊す。〕

の「…」もみな、一つの連詞的動詞である。

連詞的動詞は、二詞以上の統合によって成立するもので、その統合の法則は、詞の相関論に於いて講ぜられる。詞の単独論では、単詞または既に出来上がった連詞について、その性質運用を論ずるだけである。

形容詞

日本文典の多くは、「高」「低」「長」「短」「白」「黒」「善」「悪」のようなものを、形容詞と称して之を一品詞に立てているが、これらは作用の一種なる状態を表すのであって、その概念には判定性(言語の方から言って叙述性)が有る。

それだから〔形容詞は〕動詞の一種である。之を形容詞という一品詞とすることはよくない。私は之を一種の動詞とする。

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