『標準漢文法』001:1-1-1A言語と文法

第一編 総論 第一章 言語
第一節 言語の本質及び諸相

〔言語と文法〕

言語

言語は声音を記号とする思念表示の方法物である。一篇の文章も一場の演説も皆一つの言語であるが、「山」「河」「往」「来」「焉」「矣」などの様なごく短いものも矢張りそれぞれ一つの言語である。言語は声音を記号とするが、其の目的は思念の表示に在る。されば言語の外面は声音であって其の内面は思念である。

声音語と文字語

言語は声音を以て思念を表すものであるが、更に之を文字に表すことが出来る。声音を以て思念を表したままの第一時的の言語を声音語と謂い、之を文字に表した第二次的の言語を文字語と謂う。文章は勿論文字語であるが、まだ文章を成さない文字でも其れが言語を表示しているならば、例えば「山」「河」「矣」「焉」などの様なものは、一つの文字語である。

言語を表した文字は、之を文字として観れば文字であって言語ではない。唯之を言語の代表者と観、之を言語を表した文字と観ずに文字に表された言語と観た場合に文字語なのである。

文法

言語が多数の人に共通に思想を通じ得る所以は、其の構成に同一体系に統一された一定の法則があるからである。此の言語の構成法則を文法という。文法に内面的法則と外面的法則の二面が有る。

内面的法則は言語の内面なる思念に関する法則である。思念が声音に表される上に於いての法則である。例えば名詞は事物を表すとか、主語は作用の主体を表すとかいう様な類である。此れは世界人類に共通普遍な極めて一般的なものであらなければならない。

外面的法則とは言語の外面たる声音の法則である。声音の、思念を表す上に於ける法則である。例えば主語と客語とは日本語では「風が花を散らす」という様に助辞「が」「を」を附して区別するが、漢文では「風散花」という様に作用の語に対する位置に由って区別されるという様な類である。此れはその国語に由って各違う。

語法と字法

言語に声音語、文字語の二つの場合が有る以上、文法にも声音語文法、文字語文法の二つの場合が有る訳である。

併し文字語は声音語が文字に表されただけであって元々別のものではないのであるから、文字語文法とても声音語文法と別のものではなく、唯声音語文法へ言語を文字に表す法則を加えたものたるに過ぎない。此の言語を文字に表す法則を字法と名付ける。

そこで声音語文法を語法と名付け、語法と字法をとを合わせて文法と名付けるのが至当と思われるが、一般の慣習では文法という語は語法と同義に用いられる。

国語と国文法

或る特殊の文法に由って支配される言語を国語といい、その文法を国文法という。例えば日本語、支那語、英語などは国語で、日本文法、支那文法、英文法などは国文法である。

そうして言語というのは特殊の国語に拘わらず一般に言うのであって、如何なる国語も皆言語であるが、実際に於いて言語は国語としてのみ存在するのである。

文語と口語

日本や支那の国語には文語と口語の二種の態*が有る。欧米の諸国語では二者の区別が著しくない。日本や支那でも上古は文語口語の別が無かったのであるが、同じ国語が一方では口に発せられて自由な変遷をするのに、一方では文字に写されて不自由な変遷をするので、ついに今日の様な二態を成すことに為ったのである。


:文法学では一般にvoiceの訳語として用いられ、能動態・受動態など動詞の表現をどちらから見るかという立場を表すが、松下文法ではこの箇所の他、品詞Aが品詞Bに化けたのを変態詞と呼ぶように、voiceではなく、ある「ことばのありよう」といったような広義に用いている。

標準語と特殊語

文語にも口語にも標準語と特殊語が有る。今日支那では文語は古文を以て第一標準語とし、口語では北京官話を第一標準語とし南方官話を第二標準語としている。日本で漢文と称するものは多くの場合古文を指すのである。

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