春台先生、六経を語る(1)

聖人の道は六経にあり

太宰春台
太宰春台

聖人の道は六経にある。六経は先聖王の天下を治めたまえる道である。六経とは、詩・書・礼・楽・易・春秋をいう。六経の名は、礼記の経解篇に孔子の言を載せて、こう言っている。

温柔敦厚は、詩の教えなり。疏通知遠は、書の教えなり。広博易良は、楽の教えなり。潔静精微は、易の教えなり。恭倹荘敬は、礼の教えなり。属辞比事は、春秋の教えなり*。

この篇に孔子の六経の説を記して、篇を経解と名付けたので、後世六経の名を伝えた。また荘子天下篇に

詩以て志をい、書以て事を道い、礼以て行を道い、楽以て和を道い、易以て陰陽を道い、春秋以て名分を道う

とあるのも、六経の一つの説明である。天道篇に「十二経をひもといて以て説く」と言っているが、その説とは何かよく分からない。しかし恐らくは六経に各々伝記があるのを、合わせて十二経と言ったのだろう。

そもそも経というのは、経緯の経であり、布の縦糸を経といい、横糸を緯という。布の経は、真っ直ぐ通って頭から終わりまで貫いている。六経も同様に、天下を治める道に六種の事柄があって、各々その条理を分からせることから、経と名付けたのだ。

六経を六芸とも言う

『中庸』に「天下の大経を経綸す」とあるのに、鄭玄が注を付けて六芸を言うと解釈した。六芸とはすなわち六経のことである。六経を六芸とも言うのである。礼・楽・射・御・書・数もまた六芸と言うが、これとはまた別である。

『史記』の孔子世家の賛に、「天子王侯より、中国六芸を言う者夫子に折衷す」と言い、また太史公自序に、「夫れ儒者は六芸を以て法とす」と言っているのは、みな六経を指して六芸と言っているのだ。『史記』『漢書』の中では、六経を六芸と言っている箇所が多い。

鄭玄が『中庸』に注を付けて、「経の字の義明らかなり、また経の字を常と訓じて、天下の常道なり」と言っているのは、聖人の書を経と言い、賢人の書を伝ということから出てきた説で、正しくない。書籍について経伝と言うのは、文の体裁から来た名付けであり、聖賢の著作を分けた名ではない。

だから易の十翼は、聖人孔子の作ではあるけれど、文王周公が作りたまえる上下経を、孔子が解釈したまえるによって、これを経ではなく大伝と呼ぶのである。一方水経は、漢の桑欽の作で、天下の水のことを記したのを、経と名付けた。神農本草経を経と呼ぶのと同じである。神農は聖人で、桑欽は聖人ではないけれど、文の体裁から経と名付けたのだ。

古書の中には、九方皋の『相馬経』、寗戚の『相牛経』、師曠の『禽経』などがあって、これらは後世の偽作だが、それでも経と名付けたのは、文の体裁からそう呼んだのだ。後世の『花経』『茶経』『棊経』などというのも、みなこの類である。

繰り返し微に入り細に入って言うまでの事ではないが、経とは経緯の経であり、聖経賢伝という分類が、間違っていることがここから分かるだろう。畢竟六経というのは、道の名であって書籍の名ではない。

六経のうち、詩書礼楽の四つを四術と名付け、また四教ともいう。『礼記』の王制篇に

楽正四術を崇め、四教を立つ、先王の詩書礼楽に順って、以て士をす、春秋教ゆるに礼楽を以てし、冬夏教ゆるに詩書を以てす

とあるのがそれである。詩書礼楽は、天下の士君子の学ばずしてはいられない事で、古人の言う学とは、ただこの四つに限って学んだのである。

『論語』に「学びて時に之を習う」とあるのも、この四つを学習することを言う。詩書礼楽を学習して、その奥義に通達し、その道を行い得れば、君子の才徳は成就して、天下国家の役に立つ、これを「学(ぶ)者の成立」と呼んだのだ。


坂井末雄編『漢文読書要訣』より。

温柔:おだやかでおとなしく、すなおなこと。

敦厚:真心が厚い。親切で真心がこもっていること。また、そのような人。

疏通:とどこおりなく通じる。物事の筋道がよく通ること。

知遠:遠くのことまで知ること。

広博:知識などが広いこと。

易良:立ち居振る舞いにわざとらしさや悪意がないこと。

潔静:澄み切ったざわつきのない観察眼のこと。

精微:精密でかすかなことまで読み取ること。

恭倹:他の人に対してはうやうやしく、自分に対してはつつましくすること。

荘敬:きちんと整ってうやうやしいこと。

属辞比事:関係のあることばを連ねて、国々の事件を並べて文章にして述べること。

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