六 倒装法
あるいは倒置法とも倒句ともいう。文章の平板単調を避けるために、特に普通の様式を変化させた、語勢の遒勁と造句の奇巧を工夫したものである。例を挙げる。
- 孟子曰、原泉混混、不舍晝夜。盈科而後進、放乎四海、有本者如是、是之取爾。(『孟子』離婁下)
〔孟子曰く、原泉は混混として、晝夜を舍か不。科に盈ち而後進み、四海乎放たる。本有る者は是の如し、是れ之を取れる爾。〕
ここでの之は、取是爾〔これを取れるのみ〕と書くべき所、之の字を加えて倒置させている。同様の例。
- 君子長國家者、非無賄之患、而無令名之難。(『春秋左氏伝』襄公)
〔君子の國家に長たる者は、賄い無きを之患うに非で、し而令名きを之難う。〕
これを正置法に直すと、次のようになる。
- 非無賄之患→非患無賄
- 無令名之難→難無令名
同様の例は、論語などにも多数ある。
- 古者言之不出。恥躬之不逮也。→不出言(『論語』里仁)
〔古者言之出で不るあり。躬之逮ば不るを恥じれば也。〕 - 父母唯、其疾之憂。→憂其疾(『論語』為政)
〔父母は唯、其れが疾いを之れ憂う。〕 - 昭子曰、必亡。宴語之不懷、寵光之不宣、令德之不知、同福之不受、將何以在。→不懷宴語、不宣寵光、不知令德、不受同福(『春秋左氏伝』昭公)
〔昭子曰く、必ず亡げん。宴語を之れ懷か不、寵光を之れ宣べ不、令德を之れ知ら不、同福を之れ受け不、將に何ぞ以て在らん、と。〕
以上は「之」を用いて倒置したものである。次は「是」を用いて倒置した例。
- 未有能勇於奮發之中、舍己從人、惟義是聽者也。→惟聽義(蘇東坡「代張方平諫用兵書」)
〔未だ能く奮發之中於勇むもの有らず、己を舍てて人に從わば、惟だ義のみ是れ聽す者也。〕 - 老夫其國家是不能恤、敢及王室。→不能恤其國家(『春秋左氏伝』昭公)
〔老夫其れ國家だに是れ恤う能わ不、敢えて王室に及ばんや。〕 - 讀書禮樂是習、仁義是修、法度是束。→習禮樂、修仁義、束法度(『唐宋八家文』韓愈)
〔書を讀み禮樂を是れ習い、仁義を是れ修め、法度を是れ束ぬ。〕 - 不省所怙、惟兄嫂是依。→惟依兄嫂。(同上)
〔怙む所を省み不、惟だ兄嫂に是れ依る。〕 - 愈今者惟朝夕芻米僕賃之資是急。→急朝夕芻米僕賃之資(韓愈「與于襄陽書」)
〔愈、今や惟だ朝夕の芻米僕賃の資を是れ急とす。(芻米:スウベイ・牛馬を飼うまぐさと、人を養う米。僕賃:召使に与える賃金。)〕 - 君人者、將禍是務去。→務去禍。(『春秋左氏伝』隠公)
〔君人者、將に禍いを是れ去るに務む。〕
次は「於」を用いて倒置した例。〔訓読の結果は、日本語と同順になるので、書き下し文では倒置と分からない。〕
- 亡於不暇、又何能濟。→不暇亡(『春秋左氏伝』昭公)
〔亡ぶ於暇あら不、又た何ぞ能く濟わん。〕 - 諺所謂、室於怒、市於色。→怒室、色市(同上)
〔諺の謂う所あり、室於怒るを、市於色いだす、と。〕 - 貧賎也、衣食於奔走。→奔走衣食(韓愈「與陳給事書」)
〔貧賎也て、衣食於奔走す。〕
以上、漢文訓読に必要な造句法について、その大略を述べた。これらは訓読のみならず、復文・作文の場合にも参考にすべき事は言うまでも無い。