四 照略法
照略法とは、上の句に述べた語を、下の句で省略する造句法である。即ち上の句にある語句で、下の句で略された語句を照映するのである。之は漢文に多く用いられている方法で、大いに注意すべきだ。例えば
- 夫千乘之王、萬家之侯、百室之君、尚有患貧、而況匹夫編戶之民乎。(『史記』貨殖列伝)
〔夫れ千乘之王、萬家之侯、百室之君、尚お貧しきを患うる有り、而るに況んや匹夫編戶之民を乎。(編戶:戸籍に組み入れられた人民。平民・庶民のこと。)〕
の如きは、尚有患貧と一度言っているから、匹夫編戶之民はなおさら患貧と言わなくても、文意がよく通じるのである。次の例。
- 天地不能常侈常費、而況於人乎。(『韓非子』解老)
〔天地常には侈り常には費やす能わ不、而るに況んや人に於いてを乎。〕
これも、人亦不能常侈常費の照略法である。次の例。
- 心之官則思、思則得之、不思則不得也。(『孟子』告子上)
〔心之官は則ち思いなり、思わば則ち之を得るも、思わ不らば則ち得不る也。〕
の如きも上の句で得之と言ってあるから、下の句で不得之也と言わなくとも文意が通じるから、之を省略してある。次の例。
- 根之茂者、其實遂、膏之沃者、其光曄。仁義之人、其言藹如也。(韓愈「答李翊書」)
〔根之茂りたる者は、其の實は遂げ、膏之沃き者は、其の光は曄かなり。仁義之人は、其の言藹如たる也。(藹如アイジョ:気持ちが和らいで穏やかなさま。)〕
の如きも、茂、沃に対して、「仁義之篤者」と言うべきを省略している。次の例。
- 唯器與名、不可以假人、君之所司也。名以出信、信以守器、器以藏禮、禮以行義、義以生利、利以平民、政之大節也。若以假人、與人政也、政亡、則國家從之、弗可止也已。(『春秋左氏伝』成公)
〔唯だ器與名は、以て人に假す可から不、君之司る所也。名は以て信を出だし、信は以て器を守り、器は以て禮を藏め、禮は以て義を行い、義は以て利を生み、利は以て民を平ぐ、政之大節也。若し以て人に假さば、人與政る也、政亡ばば、則ち國家之に從うも、止むを可から弗る也已。〕
これも始めに、唯器與名、不可以假人と言ってあるから、下の句で「若以器與名假人」と言わなくとも、文意が明瞭である。
次の例は、対偶法との組み合わせ。(カッコ内)の省略された語句を補えば、正しく対偶法となる。
- 人主者┳非目若離婁乃為明也。
┗非耳若師曠乃為聰也。 - ┏目必、不任其數、而待目以為明、所見者少矣、非不弊之術也。
┗耳必、不因其勢、而待耳以為聰、所聞者寡矣、非不欺之道也。 - 明主者┳使天下不得不為己視、
┗(使)天下不得不為己聽。 - 故身在深宮之中、而明照四海之內。
- 而┳天下弗能蔽、 ┳者何也。
┗(天下)弗能欺┛ - ┏闇亂之道廢、而
┗聰明之勢興也。 - 故┳善任勢者國安
┗不知因其勢者國危。(『韓非子』姦劫弒臣)
人主者、目は離婁の若くして乃ち明と為すに非る也。耳は師曠の若くにして乃ち聰と為すに非る也。目は必ず其の數に任さ不、し而目を待ちて以て明と為さば、見ゆる所の者は少き矣、弊われ不る之術に非る也。耳は必ず其の勢に因ら不、し而耳を待ちて以て聰と為さば、聞こゆる所の者は寡き矣、欺かれ不之道に非る也。明主者、天下を使て己の為に視不るを得不らしめ、天下をして己の為に聽か不るを得不らしむ。故に身深宮之中に在りて、し而明四海之內を照らし、し而天下蔽う能わ弗、欺く能わ弗る者は何ぞ也。闇亂之道廢れて、し而聰明之勢興れば也。故に善く勢に任す者は國安く、其の勢に因るを知ら不る者は國危し。
離婁:=離朱。古代、伝説上の人。100歩離れた場所にある毛さきほどの小さいものも見わけることができるほど、すぐれた視力を持っていたという。
師曠:春秋時代、晋の音楽家。字は子野。よく音を聞き分け、吉凶を占った。著に『禽経』がある。
このように、中間に少しの照略法を含んでいることを心得れば、対偶法で文意を明確にすることが出来る。論語、孟子、左伝などには、この照略法が甚だ多い。