『標準漢文法』036:2-1-2M形式名詞の小分(4)

第二節 名詞の小分〔承前〕

単純形式名詞〔承前〕

者〔承前〕

六「者」が事物の全体又は一部を表す場合
  • 嗟夫予嘗求古仁人之心或異二之爲何哉。(范仲淹「岳陽樓記」)
    嗟夫ああ、予れ嘗て古の仁人之心を求め、或は二者之為せるを異とするは何ぞ哉〕
  • 道可道非常道、名可名非常名…此兩同出而異名。同謂之玄。玄之又玄衆妙之門。(『老子』)
    〔道の道う可きは常の道に非ず、名の名づく可きは常の名に非ず…此の両者同じく出で而名を異にす。同じく之を玄と謂う。玄之又玄たるは衆妙之門なり。〕
  • 視之不見名曰夷。聽之不聞名曰希。搏之不得、名曰微。此三不可致詰、故混而爲一。(同上)
    〔視る之見不るを名づけて曰く夷。聴く之聞か不るを名づけて曰く希。搏つ之得不るを名づけて曰く微。此三者致し詰む可から不、故に混ざり而一と為る。〕
七「者」が事物そのものを表す場合
  1. 何謂眞。客曰眞精誠之至也。不精不誠不能動人。(『荘子』漁夫)
    〔何をか真と謂う。客曰く、真精誠之至也。精なら不誠なら不ば人を動かす能わ不。〕
  2. 淮陰侯韓信淮陰之人也。(『史記』淮陰侯伝)
    〔淮陰侯韓信者淮陰之人也。〕
  3. 性也與生倶生也。情也接於物而生也。(韓愈「原性」)
    〔性也者は生与倶に生くる也。情也者は物於接き而生くる也。〕
  4. 堯不慈、舜不孝、禹偏枯、湯放其主、武王伐紂、文王拘羑里。此六子、世之所高也、孰論之、皆以利惑其眞而强反其情性。(『荘子』盜跖)
    〔尭は慈しま不、舜孝なら不、禹偏枯たり、湯其の主を放つ、武王は紂を伐つ、文王羑里に拘わる。此の六子者は、世之高くする所也、孰か之を論じて、皆な利を以て其の真を惑わし而強いて其の情性に反かざらん。〕
  5. 知伯曰、破趙而三分其地、又封二子各萬家之縣一、則吾所得者少。(『韓非子』十過)
    〔知伯曰く、趙を破り而其の地を三分し、又た二子者を封じるに各の万家之県一たらば、則ち吾が得る所の者少し。〕
  6. 周公乃成其不中之戲、以地以人與小弱弟爲之主、其得爲聖乎。 (柳宗元「桐葉封弟弁」)
    〔周公乃ち其の中ら不の之戯れを成して、地を以て人を以て小弱なる弟者に与えて之が主と為すは、其れ得て聖為る乎。〕

これら皆事物そのものを表すのであるが、1.のように題目語となる場合には「者」を「は」と読む習慣がある。しかし「者」が「は」の意味なのではない。「者」はなくても「は」を添えて読むのである。「者」はただ事物の概念の形式的意義を明確にするだけであることは5.の場合と同じである。

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