『標準漢文法』を読む:はじめに

このカテゴリの記事は、漢文を原文のまま読んでみようと企てない限り、意味の無い記事になる。しかしひとたびそれを企てたなら、少なくとも役には立つことだろう。ただしまだ全部を読み終えぬうちにここを書いているので、金箔付きでお勧めできないことを予め申し上げる。

漢文には文法があるのか無いのか。この問いは少しでも真面目に漢文の原書に取り組んだ者なら、誰でも一度は抱いたと想像する。ではその結論はと言えば、私=九去堂に限ればあるようで無いようでという、極めていい加減な事しか言えそうに無い。

かろうじて言えるのは、どうやら主語の後には述語が来ることが多いようだとか、周代以降では修飾語-被修飾語の順になるのが通例であるとか、否定辞の後ではO-Vという逆転現象が見られるようだとか、いずれ言い訳を含んだことばかり。実に情けない次第である。

この原因の一つは、中国で文字を扱ってきた知識人≒儒者≒役人≒政治家≒学者の、特殊な事情にある。中国史では名君と言われる漢の景帝ですら、皇太子時代に気に入らない親類を双六盤で殴り●し、しかもおとがめ無しという残酷なけしきが、政界官界では当たり前だった。

相手が臣下の役人ならなおさらで、物書きは君主や時の権力者を怒らせようなものなら、ごくあっさりと一族皆●しが珍しくなかった。となれば文書行政に関わる役人も、いざというとき言い逃れできるように、一つの文字列に複数の解釈が出来るような余裕を持たせて書いた。

これには高校世界史にいわゆる「文字の獄」の影響も大きい。その張本人の一人である明の開祖洪武帝は、毛沢東と中国史上最悪を争うシリアルキラーで、なのに名君。同様に清の名君雍正帝も、「維民所止」という由緒正しい句を、自分を呪ったとして刑殺の理由にした。

また文字言語が本来持つ、情報の開示性と秘匿性という、相反する機能を中国語=漢文も又濃厚に持ち続けた。要するに、ギルドに入らぬ人間には何が書いてあるかさっぱり分からないよう、楽屋ネタのようなことを平気で公刊するのである。しかも時にそれが有卦までした。

見せるようでいてその実見せないという、まるで花電車の上位版を見たような文章が、その芸の細かさで中国の知識人=士大夫をうならせもした。確かに本場の中国人はうなってよかったが、うめいたのは後世の異国人である、若き日の九去堂のような漢文読み志望者である。

漢文には文法が無い。つまり学習のしようが無い。ひたすら経験値のみがものを言う。

通常の外国語なら、文字が読めればあとは辞書を引けば何とか意味が分かる。ところが漢文はそうでない。言い換えると漢文は、読みたいようにどのようにでも読める。これは恐ろしいことだ。何が正しい読みなのか、決めるのは合理ではなくその場の権力関係によるからだ。

これが戦後の漢文業界を腐らせた、根本的な原因だと思う。人間的にも学問的にも如何わしい者が、学界の権威として君臨し嗜虐に走る。取り巻きどもは被虐に耐えかねて、より弱い者をさいなんで回る。少しでもまともな者ならいたたまれず、こぞって逃げ出す仕儀と相成った。

それは漢文がもはや世間の要らん子だからに違いない。戦前もそうなりかかっていたのだが、あろうことか国会で漢文振興を決議し、その教育のため学費無料の上いくばくかの生活費まで支給したのが、こんにちの大東文化大学の嚆矢である。が、ここまでしても復興しなかった。

それはあるいは、言い出した平沼騏一郎が、真正の気○いで刃物どころか権力を握った嗜虐趣味者だったからかも知れない。だがいずれにせよ漢文業界にはろくな人材が来ず、例外はおいでだが、おおかたは頭のアレな連中の集まりと化し、学問の体を成さないまま平成を迎えた。


平沼一郎:

帝大法科を首席で卒業、アカ嫌いという趣味で山県有朋に気に入られ、長年検事を務めた間、無実の罪をでっち上げては獄死・刑殺を繰り返したサ■゛ィスト。元老の西園寺公望が「気○いだから要職に据えてならぬ」と警告したのだが、あろうことか首相にまでなってしまった。

平沼騏一郎
日本を戦争に引きずり込み、その失敗を「複雑怪奇」の一言で言い逃れしたクズでもある。このような首が長く口のとんがった人相を、易学では長ケイカイの相と言い、有用な間は媚びへつらうが、立場が有利になると、手のひらを返して残忍になるので気を付けろ、とされる。


誰だろうとあんたの言っている事はおかしい、と言える基準があれば、ここまでろくでもない業界にはならなかったろう。その悔しさから、これまで何冊もの漢文文法と称する本を読んできた。しかしそのどれにも得心がいったためしがない。自分で取り組んでも納得がいかない。

そして今回、ふとしたきっかけから表題の、松下大三郎『標準漢文法』を知るに至った。昭和初期の古い本で、国会図書館に画像データがあり、タダで読める。どうせ読むならしっかり読もうと思い、ついでにテキストデータに起こしてここに残すことにした。

底本としたデータによれば、昭和二年十月二十九日発行、版元は東京の紀元社。テキスト起こしは、できるだけ原文通りに移したが、漢字と仮名遣いは新漢字新仮名遣いに改めた。また文意を損なわないと判断した場合、日本語入力ソフトの仮名遣いや漢字選択のままにした。

また気分次第で注を付けた。<hr>水平線で区切られた部分や、〔〕内の文字列、ひらがなのルビは九去堂によるものである。漢文を原文で読もうとする読者には要らぬお節介かも知れないが、多少は誰かに読んで貰いたいし、自分で読むにも注が要ったからだ。

また追って見直しの際に、段落を切ることにした。自分でも読みにくいからである。

元画像よりは読みやすくすることで、コピーの罪を減じたい。

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コメント

  1. […] 副業で医師をやっている世間師が、デマをばらまいて批判されている。当然と思うが、理Ⅲに受かるような人がなぜと思わないでもない。この手の高学歴気○いには、平沼騏一郎の昔から、力を与えると罪のない人が大勢死ぬことになる。珍しくはないが気を付けた方がいい。 […]