一 対偶法(承前)
以上によって、対偶法がいかに漢文の分解訓読に必要で適切か、ほぼ察知できる。この対偶法をさらに分類すると、次のようになる。
| 一意貫通法 | イ:接続的 |
| ロ:正反的 | |
| 両意双進法 | ハ:反照的 |
| ニ:排比的 |
それぞれを例によって説明する。
イ:一意貫通法-接続的のもの
- 不憤不啟、不悱不發。(『論語』述而)
〔憤ら不らば啟か不、悱え不らば發さ不。〕 - 不塞不流、不止不行。(『八家分』韓愈)
〔塞が不らば流れ不、止ま不らば行か不。〕 - 不在其位、不謀其政。(『論語』憲問)
〔其の位に在ら不らば、其の政を謀ら不。〕 - 聖人不死、大盗不止。(『荘子』外篇・胠篋)
〔聖人死せ不らば、大盗止ま不。〕 - 出百死、得一生。(『十八史略』唐太宗)
〔百死に出でて、一生を得。〕 - 恭近於禮、遠恥辱也。(『論語』学而)
〔恭の礼於近からば、恥辱を遠ざく也。〕
などは、その形式上二句の対偶だが、その両句には原因と結果、または方法と効用などの関係がある。故に両句の中間に、而または則など接続詞を挿入して解読すべきだ。
下のロとの違いは、対句同士の関係が、必ずしも孤立していないから気を付けろ、ということ。荘子の例文で言えば、この部分だけ切り取るなら「聖人死せず。大盗止まず。」と対句の双方を孤立した文と解釈出来る。しかし長文中の文脈によって、原因→結果の関係になることを見抜かなければならない。『老子道徳経』の
- 大道廢、有仁義。智慧出、有大偽。六親不和、有孝慈。國家昏亂、有忠臣。
も同様。大道がすたれたから、仁義が現れた、と読まねばならない。
ロ:一意貫通法-正反的なもの
- 良藥苦於口而利於病。忠言逆於耳而利於行。(孔子家語)
〔良藥は口於苦くし而病於利く。忠言は耳於逆い而行い於利く。〕 - 智可以欺王公。不可欺豚魚。(『唐宋八家文読本』韓愈)
〔智は以て王公を欺く可し。豚魚を欺く可から不。〕 - 能開衡山之雲而不能解憲宗之惑。(同上)
〔能く衡山之雲を開き、し而憲宗之惑いを解く能わ不。〕 - 子范曰、師直為壯。曲為老。(『春秋左氏伝』僖公)
〔子范曰く、師は直からば壯んと為る。曲がらば老い為る。〕
の類は正反相対して、苦と利、可と不可、能と不能、直と曲のように接続したもので、その中間に「而」の字が入るべきものである。
衡山:山の名。五岳の一つ。湖南省衡陽県の北、衡山県の北西にある。「南岳」「霍山(カクザン)」とも。
イと同じく、文の主題は一つだが、それを対となる場合や場面からの視点で叙述する。
ハ:両意双進法-反照的なもの
- 故君子之道、闇然而日章。小人之道、的然而日亡。(『中庸』)
〔故に君子之道は、闇然とし而日に章か。小人之道は、的然とし而日に亡ぶ。〕 - 言忠信行篤敬、雖蠻貊之邦行矣。言不忠信、行不篤敬、雖州里行乎哉。(『論語』衛霊公)
〔言は忠信にして行いは篤敬たらば、蠻貊之邦と雖も行わるる矣。言は忠信なら不、行いは篤敬なら不らば、州里と雖も行われん乎哉。〕 - 孰謂少者歿而長者存。彊者夭而病者全乎。(韓愈「祭十二郎文」)
〔孰か少者歿し而長者存り、彊者夭し而病者全きと謂わん乎。〕
などは、君子と小人、闇然と的然、日章と日亡、忠信と不忠信、蠻貊と州里、行矣と行乎、少者と長者、彊者と病者の如く、相反するものを挙げて、前後相照らして意義を明瞭にするものである。これが対偶法の正式と言うべきものだろう。
ニ:両意双進法-排比的なもの
- 惟德被生民、而功施社稷。(欧陽脩「相州晝錦堂記」)
〔惟だ德を生民に被せ、し而功を社稷に施す。〕 - 仰之彌高、鑽之彌堅、瞻之在前、忽焉在後。…博我以文、約我以禮。(『論語』子罕)
〔之を仰げば彌よ高く、之を鑽れば彌よ堅く、之を瞻れば前に在り、忽焉として後に在る。…我を博むるに文を以い、我を約むるに禮を以う。〕 - 鳥之將死、其鳴也哀。人之將死、其言也善。(『論語』泰伯)
〔鳥之將に死せんとするや、其の鳴き也哀し。人之將に死せんとするや、其の言也善し。〕
などは、徳と功、仰之と鑽之、博我と約我、將死と將死など、みな同一のものを排比したものである。
鑽之が仰之と同一であると言っている意味が分りにくい。「鑽」は穴を開けることだが、転じて穴を開けるように深く物事をきわめること。「博我と約我」を「同一」と言うのはさすがに無茶で、「博我」は私の視野を広げる、「約我」は私の知識をまとめること。
以上の様な例は、各問題中に発見されないことがない。巧みに之を用いれば、みな明瞭な訓読が容易に出来るのである。