五 回文法
回文とは本来、詩の体裁の一種である。上から読んでも下から読んでも、一種の完全な詩になっているものを言う。例えば蘇東坡「題金山寺」がその例。
順読 | 逆読 |
潮隨暗浪雪山傾。 〔潮は暗浪に隨い雪山傾く〕 遠浦漁舩釣月明。 〔遠浦漁舩月明を釣る〕 橋對寺門枩逕小。 〔橋は寺門に對し枩逕小なり〕 檻當泉眼石波淸。 〔檻は泉眼に當り石波淸し〕 迢迢綠樹江天曉。 〔迢迢たる綠樹江天の曉〕 靄靄紅霞晚日晴。 〔靄靄たる紅霞晚日晴る〕 遙望四邊雲接水。 〔遙に望む四邊雲水に接し〕 碧峯千點數鴎輕。 〔碧峯千點數鴎輕し〕 |
輕鴎數點千峯碧。 〔輕鴎數點千峯碧なり〕 水接雲邊四望遙。 〔水は雲邊に接し四望遙なり〕 晴日晚霞紅靄靄。 〔晴日晚霞紅靄靄たり〕 曉天江樹綠迢迢。 〔曉天の江樹綠迢迢たり〕 淸波石眼泉當檻。 〔淸波石眼泉檻に當る〕 小逕枩門寺對橋。 〔小逕枩門寺橋に對す〕 明月釣舩漁浦遠。 〔明月釣舩漁浦遠し〕 傾山雪浪暗隨潮。 〔山に傾く雪浪暗に潮に隨う〕 |
散文でもこれに類似した句法がある。即ち上下二句の間で、下句の首は上句の尾を受け、下句の尾は上句の首に応じる。故に之を環句、または旋回法という。例えば
- 庸德之行、庸言之謹、有所不足、不敢不勉、有餘不敢盡。言顧行、行顧言、君子胡不慥慥爾。(『中庸』)
〔庸德之を行い、庸言之を謹み、足ら不る所有らば、敢えて勉め不んばあら不、餘り有あらば敢えて盡くさ不。言は行を顧み、行は言を顧みる、君子胡ぞ慥慥爾たら不らん。(慥慥爾:ゾウゾウジ・いったことをすぐ実行するさま。)〕
の「言顧行、行顧言」がそれに当たる。
次に「仁者は必ず勇あり、勇者は必ずしも仁あらず」を復文すると
- 仁者必有勇、勇者不必有仁。(『論語』憲問)
となるが、これも一種の回文である。その他の例を挙げる。
- 有德者必有言、有言者不必有德。(『論語』憲問)
〔德有る者は必ず言有り、言有る者は必ずしも德有ら不。〕 - 信言不美、美言不信。(『老子道徳経』)
〔信の言は美しから不、美しき言は信なら不。〕 - 知者不博、博者不知。(『老子道徳経』)
〔知る者は博からず、博き者は知なら不。〕
対偶法とよく似てはいるが、下句の尾と上句の首とに同一の文字を置いて呼応させているのが特徴。之は訓読するに当たってさほど必要ではないが、造句法の一種としてここに記しておく。