『標準漢文法』023:2-1-1I六品詞の分類的精神

第一節 品詞(承前)

六品詞の分類的精神

□名詞・動詞・副体詞・副詞・感動詞・複性詞の六品詞は、漢文とか英語とか日本語とかいう或る種類の国語にのみ妥当なる特殊のものではなく、世界のあらゆる国語に共通普遍一般的の、しかも根本的なる範疇である。

時の古今将来、宇宙の上下四方を問わず、およそ言語と称すべきものは、この六品詞以外に出でることの有るべからざるものである。但しあらゆる国語が、この六品詞を有するというのではない。現に日本語の如きは、複性詞を持たない。〔それでも〕ただ六品詞以外の品詞は、何処にもないのである。

この六品詞は、詞を直に六分したものではなくて、両分法を重ねて始めて到著したものである。もし一詞が、必ずただ一つの性能を有するものならば、詞の種類は、即ち性能の種類と一致するわけだが、一詞が二性能を有するか、二詞が一性能を有する様な場合があれば、そうはいかない。

そこで詞と性能の関係を検するに、二詞が一性能を有するという様な場合はない。しかし一詞が二性能を有し、二詞と同様の効果を成す場合はある。それゆえまず詞を二分して、単性詞・複性詞の二種とし、複性詞を一つの品詞とする。

単性詞は、一詞が一性能を有するものであるから、単性詞の分類は、性能の分類と一致する。

言語は思念を表すものであるが、その中には思念を介して思念の対象を表示するのと、思念それ自身を表示するのとある。そこで単性詞を二分して、主観詞と概念詞の二種とする。

主観詞は、思想者が思念それ自身を表すものである。火事をみて「やあ火事だ火事だ」と言ったときの「やあ」は、火事だと思った驚嘆そのものであって、その驚嘆の内容は「火事だ」という客観的事件に存する。「やあ」はこの内容を表すのではなく、驚嘆そのものを表すのである。この主観詞を、感動詞と名付けて一品詞とする。

概念詞は、思想の材料たる概念を表すものである。主観的存在としての概念そのものの表示ではなくて、客観的存在としての対象の表示である。「山」と言えば心内の「山」を指すのではなくて、外界としての山を指すのである。

概念は内包。外延の二面から見ることが出来る。およそ宇宙のあらゆる現象は、吾人に認識されて概念となる上に於いて、内包と外延との二面がある。あらゆる事物の持っている属性と作用とは、内包である。

〔例えば〕「雪」の白いこと、冷たいこと、氷の結晶たる細屑より成ること、軽くして飛散して空中より降って地上に積もること等は、雪の内包である。しかしこれらの内包だけでは、雪という事物は成立しない。これが雪たるには、これらの諸性質及び作用を統一して、支持する力*がなければならない。〔この条件は、雪に限らず〕芸術とか宗教とか信用とか戦争とかいう様な無形物でも、同様である。


力:概念に付けられた名前のこと。白いこと~細屑より成ることという属性、軽くして~積もるという作用をいくら集めても雪にはならないが、属性や作用を「雪」と名付けた箱に入れた途端、雪が成立する。プログラムを習ったときに「オブジェクト指向」と聞いたときの面くらいを思い出した。


概念は外延性の有無によって、有外延性概念、無外延性概念(純内包性概念)の二つに分かたれる。そこで概念詞は同様〔に〕、有外延性概念詞と無外延性概念詞との二つに分かたれる。

□有外延性概念詞は、外延性を有する概念を表すものであって、吾人は之を名詞と名付ける。名詞は大抵、外延性と内包性とを兼ね有するものである。例えば前例の「雪」の説明でも分かるであろう。〔対して〕ただ「者」という名詞は外延性だけで内包性がない。

  1. 雪是也。〔雪は物体である。〕
  2. 雪是也。〔雪は?である。〕

1.の「物」は内包外延を兼ねているから、完備した概念である。それだから1.の命題は有意義であるが、2.の「者」は内包がないから、その概念は不完備である。ただ事物としての形式的意義があるに過ぎない。従って2.の命題は意義を成さない。

  • 雪是「白而冷者」也。〔雪とは「白くて冷たいもの」である。〕

の「者」は内包を欠いている。白而冷という内包の補給によって、始めて「白而冷者」という内包外延を兼ねた概念を表すことになる。

名詞以外の概念詞は、みな無外延詞即ち純内包詞である。

  1. 雪是也。〔雪は物体である。〕………………………┳有外延的断定
  2. 雪是白而冷者也。〔雪は白くて冷たいものである。〕┛
  3. 白而冷。〔雪は白くて冷たい。〕………………………純内包的断定

の1.2.の  は有外延詞で、1.は単詞的名詞、2.は連詞的名詞であるが、3.の  は無外延詞である。1.2.の  は雪についてその内包と外延とを説明しているが、3.の  は雪についてその内包だけ*を説明している。


内包だけ:1.2.は”(~という)物体”として雪を記述しているが、3.は雪の属性や作用だけを記述している。ブツとしての外延を記述していないから、内包だけを説明していることになる。


無外延詞は、内包ばかりで外延のない概念を表すものである。そうして内包の概念は、判定性を持っているかいないかによって、作用の概念と属性の概念途に分かたれる。

  1. 富士山頗。〔富士山はとても高い●●。〕  黄河水不清●●。〔黄河の水は澄んでいない●●●●●●。〕
    雨自天。〔雨が天から降る●●。〕     地球太陽。〔地球は太陽を回る●●。〕
  2. 学生穿制服。〔それぞれの○○○○○学生はみな○○制服を着る。〕
    廃学乎。〔私はむしろ○○○学問をやめたいな。〕

の1.の●は、みな作用を表すもので判定性がある。「高」は、その概念を富士山の概念の内包と比較し、その一致不一致を判定して一致を断じ、「不清」は、その概念を黄河に比較して、その不一致を断じている。判定性は、すなわち一致不一致の判断を下す性質である。判定性は、概念に存する性質であるが、言語の性質としては、之を叙述性という。2.の○は、ただ属性を表すだけで、判定性(叙述性)を持っていない。

そこで無外延詞は、之を分けて判定詞(作用詞)と、非判定詞(属性詞)の二つとする。前者は、判定性ある内包的概念、即ち作用の概念を表すもので、これを動詞と名付ける。上の1.の●はそうだ。

非判定詞(属性詞)は、判定性のない概念、即ち属性の概念を表すものである。

属性は本体に従属するもので、単独に存するものではない。「富士山頗高」の「頗」は、「高」に属する程度であって「高」を本体とする属性である。「頗」だけ単独に考えては、具備した概念にはならない。之に反して、「高」は独立性がある。「山高」「鳥飛」と言えば「高」が富士山に従属するのではなく、富士山が「高」に従属するのである。「山高」も「屋蓋やね高」も「こずえ高」も「たかどの高」も、みな「高」の一種である。山・屋・蓋・梢・楼は、「高」の主体を区別する補助*に過ぎない。


補助:高は、山・屋・蓋・梢・楼の状態を表す補助に過ぎない、という半畳を入れ得る。しかし松下文法では、断定・判定=叙述が断句(≒文)の主体である、とする立場を取るようだ。「山は高い」の主語は「山」に相違ないが、主語という言葉に引きずられてこの断句の中心が山にあるという考えは、捨ててかからねばならないようだ。


この「高」「飛」などは、判定詞即ち動詞であって、作用を表すものである。ところが〔非判定詞が表す〕属性の概念は、独立性が無いから、必ず他の概念へ従属する。しかしてその従属に二種ある。

一は他の概念の実質に従属し、一は他の概念の運用に従属する。前者を連体といい、後者を連用という。そこで属性詞は、連体属性詞と連用属性詞との二つに分かたれる。連体属性詞は、之を副体詞と名付け、連用属性詞は、之を副詞と名付ける。

例えば「諸学校」「各生徒」「其教師」の「諸」「各」「其」の類は、他の概念なる「学校」「学生」「教師」その物へ従属するが、「頗高」「最長」「嘗言之」の「頗」「最」「嘗」などは、他の概念なる「高」「長」「言」の運用へ従属する。

六品詞は上のような順序によって、逐次両分法を重ねて得た結果である。之を図示すると、次のようになる。

単性詞 概念詞 有外延詞 …名詞
純内包詞 判定詞(作用詞) …動詞
非判定詞(属性詞) 連体 …副体詞
連用 …副詞
主観詞 …感動詞
複性詞 …複性詞

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