『標準漢文法』009:1-1-2F原辞

原辞

□原辞は言語の最低段階であって、詞の材料となるものである。原辞に完辞と不完辞の二種がある。

完辞とはそのまま詞になり得る原辞である。「山」「河」「之」「而」「焉」「矣」の類だ。

不完辞とは他の原辞と結合して共に一詞を成すもので、自己だけでは一詞を成さない原辞である。日本語で言うといわゆる助辞、例えば「て」「に」「を」「は」「なり」「たり」「らる」「しむ」などの類や、接頭辞、接尾辞、例えば「み」「さ」「ぶる」「めく」などの類がそうだ。

〔これら不完辞は〕「山に」「山は」「「行きたり」「行かしむ」「み山」「さ夜」「春めく」などのように、他語へ付いて共に一詞を成すので、「に」「は」「なり」「しむ」「み」「さ」だけでは一詞を成さない。

□漢文にはこの不完辞というものが殆ど無い。「阿兄」「阿母」などの「阿」や「浩々乎」「飄々乎」など「乎」の類があるいは不完辞と言えようか。これらの外には真の不完辞と称すべきものが無い。

彼の「而」「之」「於」「以」「矣」「焉」「乎」「哉」などの類を日本の助辞と同様に考えたならば、それは大変な誤りである。こういうものは意義は形式的であっても単独性は決して失われていない。みな完辞である。そのままそれぞれの詞になるのである。

日本語にはまた一種の特殊な原辞がある。それは漢字を音で読んで「しゅん」(春)「しゅう」(秋)「えん」(鉛)「ひつ」(筆)などという場合である。「はる」なまり」と言えば完辞であるが、「しゅん」「えん」ではまだ一詞を成さない。これらは原辞どうしが連絡して「しゅんじゅう」「えんぴつ」という風になれば完辞になる。

そこで日本では漢字一字なれば訓で読み、二字隅用のものは音で読むという場合が多いのである。但し一字でも「仁」「義」「忠」「孝」などの様に完辞化したものは沢山有る。凡そ漢字は支那人に於いては一字一字音読されてみな完辞である。そこが日本と大変に違う。

完辞はそのまま詞になるものである。然るに「山河」などは完辞か詞かというと、それは見る方面が違う。同じものでも断句の材料として見てこれを詞と言い、詞の材料として見てこれを完辞と言うのである。喩えば同じ男でも子から見れば父、妻から見れば夫、国から見れば人民である。

原辞には単辞と連辞との別がある。「春」「雨」「秋」「風」などは単辞であるが、「春風」「秋風」などは連辞である。「春風」「秋風」などは詞としては単詞であって連詞ではない。ただ連辞の単詞である。連詞は「春之風」「秋之風」だ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

関連記事(一部広告含む)